人間は堕落する(池田晶子)

数年前、神戸出張の帰りに読んだ

あるエッセイが私の心を捉えます。




「人間は堕落する」

ちょっと前まで、真面目に自分の仕事をしていたはずの学者や研究者が、テレビにしばしば登場するようになる。必ずしも真面目な番組ではない。なんかマルチタレントまがいの立ち回りをしているのである。

おお、コイツも見事に堕落したな。

私はある種の感動をもって眺める。人間というのは、絵に描いたように堕落するものだ。このことを、今さらながら、凄いことだと思うのだ。

もし指摘すれば、彼らは、生活のためとか大衆のためとか、言い訳をするだろう。しかしそんなのはウソである。いかにも嬉し気にそれらの仕事をしているからである。こりゃあラクでいいや。そんなところではなかろうか。

一目瞭然なのは、その顔である。緩んでくる。崩れている。

内省する人間に特有の緊張感が失われているから、ごまかしようがないのである。堕落している人間は自分の堕落に気がついていないというのが、やはり凄いと同時に怖いところだ。

(週刊新潮 人間自身 184回)





残念なことに、このエッセイを書かれた池田晶子さんは、

翌週の連載を最後に、若くしてこの世を去ってしまいます。



総じて素敵な仕事をしている方は

なんとも言えない魅力的な顔をしているように思います。

実際そのような方は多くいらっしゃいます。



そんな方を見るたびに、あるいは、そうでない方を見るたびに

池田さんのエッセイを思い出し、

自分が、緩んで崩れた、醜い顔をしているのではないかと

心配になってしまのです。



自分のことは、なかなか分からないものですから

私がそんな顔をしていた時は

窘めていただけるとありがたいです。



今も私は、切り抜いた記事を、机の前に張っています。



人間は堕落する(池田晶子)_d0144114_19450939.jpg

  <池田晶子 『人間自身—考えることに終わりなく—』 新潮社>
by dikta | 2011-11-10 17:00 | 本のこと | Comments(4)
Commented by グランドパシフィック at 2011-11-10 23:22 x
なかなか深く、考えさせられる記事だと思いました。
私はいつも桜が咲くのを見て悲しい気分になります。
なぜ?と思われるかも知れませんが、理由は
「あと、何回この綺麗な花が咲くのを見ることが出来るか。」
と考えると切なくなり、人生短いなと・・・・・。
「人間は堕落する」
堕落している暇なんて無いと。

いつも更新を楽しみにしています。

Commented by Dikta☆はらだ at 2011-11-11 09:35 x
グランドパシフィック さま

コメントありがとうございます。

私はこれまで、桜の散る様を見るのが好きでした。

>「あと、何回この綺麗な花が咲くのを見ることが出来るか。」
>と考えると切なくなり、人生短いなと・・・・・。

私の歳になってきますと、10年程度の歳月イなら“あっ”と言う間に感じられるようになってしまいました。
振り返ってみれば、人生は短いですね。。
来年の桜の季節には、そんなことを思いながら眺めるようになりそうです。

>「人間は堕落する」
>堕落している暇なんて無いと。

短い人生で、堕落している時間がもったいないですし、
晩節を堕落して過ごすことのないように、心してまいりたいと存じます。

これからもよろしくお願いいたします。

Commented by マグ at 2011-11-11 12:22 x
身が引き締まる想いですね。私の顔はだらけてないだろうか?思わず鏡を見てしまいました。

Commented by Dikta☆はらだ at 2011-11-11 18:01 x
マグ さま

私も人とお話してるときに下卑た顔をしてないだろうかと、つい不安になってしまいます。


>最後まで一貫して変わらない、最後まで変質しない人間の方がいかに稀有なのかということにも、同時に私は気がついた。
>晩節を汚すという所行もまた人間には可能だからである。死ぬまで人間には道を誤る可能性があるのだ。

道を誤らないように心したいと思っています。



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